新年早々、なんてタイトルだと我ながら思う。
でも、どうしても君に届けたく、私は書いてみることにする。
「君」は、誰のことか?
それは、今は、気にしなくてもいい。
「私」のことも誰のことかは、気にしなくてもいい。
気にしなくてもいいことは、気にするだけ時間の無駄だよ。
君は、今、何を思っているのだろう。
「どうせ大人になんか、自分の気持ちは分からない」
深い絶望感の中、そんな風に思っているのだろうか。
君がもし、そう思うのならば、それも一つの考え方だね。
しかし、私には、それは違うと思う部分がある。
違うと思う部分は「大人になんか」だ。
ここは違う。
君の気持ちは、誰にも分かることができない。
「大人になんか」を「誰一人」と変えてみてほしい。
「どうせ誰一人、自分の気持ちは分からない」
そう。
残念ながら、誰一人、君の気持ちを分かることはできないんだ。
誰だって「分かる」と軽々しく言うことはできない。
申し訳ないが、私には、君の気持ちを完全に分かることはできない。
それでも、君には、思いとどまってほしいと思う。
何故か?
「親が、悲しむから」
一般的には、そう言われるんだろうね。
でも、私が考えていることとは違う。
毒でしかない親は、世の中には大勢いるし、特別なことではない。
悲しまない親もいる。
もしも、君がいなくなったら、世界はどうなるだろう。
葬儀では神妙な顔をしていたあの人も、帰り道には談笑しているかもしれない。
泣いていた人も、やがて、君を忘れていく。
つまり、世界は変わらない。
時を刻むだけだ。
悔しくないか?
私は悔しい。
君が、どんなに悩んでいたのかは計り知れないが、それが伝わることはない。
皆、君のことを忘れていくだろう。
原因が、あの人だとしても、あの人は、ほら、今も生きているね。
「あの人」も、やがて君を忘れるんだよ。
私は、そのことが悔しいと思うよ。
どうかな。
君も、私の気持ちが分からないよね。
それでいい。
分かるはずがないのだから。
分からなくて、いいんだ。
なぜなら、君は君、私は私だからね。
それでも私は、君には思いとどまってほしいと、今も願っている。
この文章が長いと感じたのなら、画面を閉じて君の世界を生きていくといい。
君がもう少し読みたいと感じたのならば、またおいで。